芥川賞・直木賞は今でこそジャーナリズムに大きく取り上げられる賞となっていますが、設立当初は菊池が考えたほどには世間の注目を集めず、1935年の「話の屑籠」で菊池は「新聞などは、もっと大きく扱ってくれてもいいと思う」と不平をこぼしています。
1954年に受賞した吉行淳之介は、自身の受賞当時の芥川賞について「社会的話題にはならず、受賞者がにわかに忙しくなることはなかった」と述べています。
1955年に受賞した遠藤周作も、当時は「ショウではなくてほんとに賞だった」と話題性の低さを言い表しています。
遠藤によれば、授賞式も新聞関係と文藝春秋社内の人間が10人ほど集まるだけのごく小規模なものだったといいます。
転機となったのは1956年の石原慎太郎「太陽の季節」の受賞です。
作品のセンセーショナルな内容や、学生作家であったことなどから大きな話題を呼び、受賞作がベストセラーとなっただけでなく「太陽族」という新語が生まれ石原の髪型を真似た「慎太郎カット」が流行するなど「慎太郎ブーム」と呼ばれる社会現象を巻き起こしました。
これ以降芥川賞・直木賞はジャーナリズムに大きく取り上げられる賞となり、1957年下半期に開高健、1958年上半期に大江健三郎が受賞した頃には新聞社だけでなくテレビ、ラジオ局からも取材が押し寄せ、また新作の掲載権をめぐって雑誌社が争うほどになっていました。
今日においても話題性の高さは変わらず、特に受賞者になにかしら話題性があればジャーナリズムに大きく取り上げられ、受賞作はしばしばベストセラーとなっています。
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