芥川賞 直木賞

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芥川賞と直木賞との境界

純文学の新人賞として設けられている芥川賞で、大衆文学の賞として設けられている直木賞です。
その境界があいまいではないかと指摘されることもしばしばあります。

第6回(1937年下半期)直木賞には純文学の作家として名をなしていた井伏鱒二が受賞しました。このとき直木賞選考委員の久米正雄は「純文学として書かれたものだが、このくらいの名文は当然大衆文学の世界に持ち込まれなくてはならぬ」と述べています。

のちに社会派推理作家として一般に認知された松本清張は、「或る『小倉日記』伝」で1952年下半期に芥川賞を受賞しています。これはもともと直木賞の候補となっていたものでしたが候補作の下読みをしていた永井龍男の助言によって芥川賞に回されたものであした。
第46回(1961年下半期)の両賞では宇能鴻一郎が芥川賞を、伊藤桂一が直木賞をとりこのとき文芸評論家の平野謙は「芥川賞と直木賞が逆になったのではないかと錯覚する」と述べています。同様の事態は第111回(1998年上半期)にも起こり、このときには私小説の作家であった車谷長吉が直木賞を、大衆文学の作家とみなされていた花村萬月、ハードボイルド調の作品を書いていた藤沢周が芥川賞を取ったことで話題となりました。

芥川賞に比べて、直木賞のほうはある程度キャリアのある作家を対象としていることもあり、檀一雄、柴田錬三郎、山田詠美、角田光代などのように芥川賞の候補になりながらその後直木賞を受賞した作家もいます。
1950年代までは柴田錬三郎「デスマスク」(第25回・1951年上半期)、北川荘平「水の壁」(第39回・1958年上半期)など芥川賞と直木賞の両方で候補に挙がった作品もありました。

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